床の硬さで目を覚ます、
腰が尋常じゃないくらい痛い。
何もない部屋。今日は、広島の邸宅で過ごす最後の日。
卒業式が数日前にあったが、その前後も数多くの予定が入っていて、多忙を極めていた。
思い返すと、広島に来たのは、8年半前の2016年4月。
化学がほんの少しだけ得意で、何となくで選んだ広島大学工学部の化学科。
結果として、修士で早期修了し、論文10報アクセプトされ、特許を取り、博士号も取った。
そんなことを、8年半前の自分が考えれただろうか。
結局、将来は読めないのであって、あまり先を考える意味がないのだろう・・・
そんな私が、今後の進路を具体的に考え始めたのは、2年半前にもさかのぼる。
アメリカの企業への就職
そもそも、博士課程に入学したきっかけは、アメリカの企業に入るためだった。
というのも、博士号を持っている人への待遇は、日本より海外の方がかなり良く、
私自身、海外が好きで、英語もある程度困ることなく話せることから、
ある意味で、普通の、博士課程の人あるあるの選択肢だったように思える。
そのため、アメリカの企業のインターンに参加したりと、ごく普通の就職活動をしていた。
これが2年前の夏頃ですかね。
だがしかし、就職活動をするなかで、なんか自分が想像したのと違うなぁと思うようになった。
というのも、外資系企業に就職しても、結局日本支社で働くことになるので、
結局、日系企業と似た、なんちゃって外資系企業の働き方になるのだ。
自分がイメージする働き方は、
きっとアメリカで就職活動をして、本社採用になる必要があるように感じた。
正直、そこまでのモチベーションも他を圧倒する能力はなく、
なんなら、化学系の研究職は、もういいかなぁと思うようになっていた。
大学教員という選択肢
博士課程に入学してすぐ教授と将来のことについて、相談する機会に恵まれた。
上記のことを伝えると、
入学当初から選択肢を狭めることは、良くないという助言をいただき、
大学教員になるという選択肢が新たに生まれた。
単純にたくさん研究してほしかったのでしょうね・・・
そのためには、普通の人が卒業するのに必要な研究成果では、
この厳しいアカデミアの世界を勝ち抜けないから、
他の人より研究成果を出せるように、研究活動も勧めた。
ゴルフばかりしていたわけでは、ないんですよ・・・
実際、運良くそれなりに研究成果も出たことから、助教にならないか?という強いお誘いを受ける。
この経験を通じて、可能性を捨てないこと、視野を広く持つことの大切さを学んだ。
自分探しの時期
研究活動と就職活動をするなかで、自分のなかで、ある問いが出てきた。
自分って、将来何をしたいんだろう?
心の声
考え出した、止まらなくなる性格な故に、ずっとと考える。
正直、大学教員の働き方「自由に働けて、成果主義」は魅力的だったが、
研究活動は、もうしなくていいという気持ちがかなり強かった。
一方で、会社に勤めるという働き方、特に外資系で働くというのも、十分に魅力的であったが、
結局、日本支社で働くことになるため、日系企業とそこまで有意差がないような気がしていた。
そんな自分探しを25歳になってちんたらしていた私は、
自分が将来何をするべきか、ずっとずっと考えた。
その際、自分が好きなことの共通点と強みを見出した。
自分はどちらかというと、0から1を創るほうが好きだと。
何もノウハウがないところから、研究をして、論文掲載までしたり、
YouTube活動に関して、何もしらない状況から、手探りで進めていく感じ。
ゴルフも練習しまくっても、うまくできない状況を過程と捉え、楽しめる感じ。
なにかと、出来ないことを出来る状況に持っていき、継続するプロセスを他の人より楽しめる性格だと気づく。
起業するという選択肢
そんな気付きを得た私は、
0から1を創る、起業するという選択肢をあらたに得た。
本ブログの方針であるように
「行動を伴わない言葉には価値がない~Words without deeds are worthlessss~」
に従い、私は、大学や地域、国が主催する起業イベントに夜な夜な独りで参加し、
ちまちま情報を集め始めた。
また、有難いことに毎日行っていたゴルフ練習場には、多くの経営者がいて、
その方々と多くの交流をする中で、
こっちの道に挑戦するのも、ありなのかもしれないと思うようになった。
そんななか、経営者である旧友と縁があり、一緒に仕事というか、ボランティアというか、
何とも言えない作業を半年以上に渡って、一緒に行う機会があった。
その作業をするなかで、多くをことを相談し、自分の性格的は、起業するのに向いているという助言を得た。
ただの過大解釈で、都合よく、自分がそう思いたかっただけだろうが!!!
そして、一緒に何かやろうよ!!!という誘いを受ける。
人生で一番悩む時期
大別すると、私には、3つの選択肢があった。
- アメリカの企業に就職する
- アカデミアの道に進む
- 起業する
私は、この決断に今までの人生で一番悩む。
何事も時間は待ってくれない。決断の猶予は、半年もない。
これまでに多くの決断をしてきたが、
その際も誰かに相談するということは、決してなかった
というのも、結局相談する段階で、ある程度答えは決まっていて、
相談がどうしても誘導尋問のようになるからだ。
考える、考える、考える。
自分の人生を振り返って、
何かを決断する時の基準は、本当にシンプルで
「面白そうか、否か」であった。
今回の決断も本当にそれでいっていいのか。自分の中で悩みが生まれる。
博士課程へ進学する際も、助教からの強い誘いがあった。
自分が心の底から尊敬する人からの誘いであること、自身の決断の基準が合致し、進学した。
今回もそのパターンなのか。
考える、考える、考える。
起業するという選択肢は、昔からずっと考えてきた。
きっとそれは、もっと人生の後半のフェーズになると思っていた。
そう考えたとき、自分のある信条が思い起こす。
「やりたいことは、今すぐやらないと間違いなく、タイミングを逃す」
これは、博士課程に入って得た教訓なのだが、
結局、今すぐやることが、一番実行確率が高い。
冒頭で書いたように、数年後の未来は、本当に読めない。
やるなら、きっと今だ・・・
決断のとき
今月末、私は27歳の誕生日を迎える。
昔、想像した理想像とはかけ離れた姿をしている。
27歳。博士号持ち。化学工学に少し詳しい無職。
また、過酷で険しい道を選んでしまった。
180.
Bucket list-180無職になりました
Why: 当事者にならないとその人の気持ちはわからない。
How: 就職しない。
Done: 博士号持ちの化学工学に少し詳しい27歳男性無職が2024年9月30日に爆誕した。