「大学入学時の俺からみた学部4年生」
「研究室に入る前の俺からみた研究室の先輩」
「B4から見たM2」
俺は大学に入ってからずっと不思議に思っていた。なぜか少し上の先輩がすごく見えてしまうことに。
俺が1年時に見た4年はすごかったが自分が4年になると、
「あぁ、別に4年ってすごくなかったんやな。」
と気づく。このようなことの繰り返し。なぜかがわからなかったがこのモヤモヤが最近になって少し晴れた。
「われわれの身体がこれほど大きい理由は?」
この問いかけをしてきたのは、友人が薦めてくれた、福岡伸一の
「生物の無生物のあいだ」
という本だ。
その答えはここでは深く書くのはやめる。
気になる人は是非読んでみてくれ。
その本で述べられたていたのは、
「粒子は「平方根の法則」に従って不規則な行動を示す」
簡単言うと、「100個の粒子があれば、10個は平均的な動きからずれた動きをすると言うことだ。」
ということは粒子数が多くなるほど誤差は小さくなり、平均的な動きに近づく。Do you catch up with me, humanities?
構成する要素が増えればより平均的な動きになるから、人間の身体は大きいのだ。これを知った時に俺は、
「これだ!!!」
と思った。
自分を構成する要素が少ない1年生の時は4年生と比べると知っていることの差の割合が著しく大きい。簡単な例を挙げると、
「M1の俺は100のことを知っている。それに比べてM2は110のことを知っている。自分から見たときのその差の割合は、10%だ。しかし、50歳の人が10000のことを知っており、51歳の人は10010のことを知っている。この時の差の割合は0.1%だ。」
これが若い時に少し上の先輩をすごいと思ってしまう原因だ。
俺は以前から50歳のエンジニアと51歳のエンジニアには、ほとんど差がないのではないかと考えていた。この直感とも一致する。
俺はある時からなんとなく先輩どもを舐め始めていた。しかしこれは真に悪いことではなかったのだ。
これは奴らを超えれる予兆なのだ。
昔誰か有名な人が言っていた。
「憧れていては超えれないと。」
だから俺は声を大にして言いたい。
「歳の少し離れた先輩を敬うな。萎縮するな。舐めちぎれ。超えちまえ」
そして声を小にして言いたい。
「この文章を先輩方は見るなよ。」