ある日の出来事
俺は、夜からもうひと踏ん張り研究を行うために、大好物のハンバーガーとコーラを食しに、マクドナルドに向かった。
後輩と一緒に行ったということもあり、支払い時に後輩の分も奢った俺。偉い。額はたったの160円。絶妙にださい。
俺「ああ、払うよ」
後輩「あざす」
俺「そのまま、その小銭募金箱に入れろよ」
後輩「いやっすよ。それなら先輩にあげますよ」
世界一人気なハンバーガー屋さんでの会話
日本人は、寄付に関してネガティブな印象を持っている人が多いということをどこかで聞いたことがある。
これはその典型か。
俺はあることをきっかけにお金を寄付する習慣が身に付いた。
今回はそれについてでも書いていこうと思う。
- 新しい習慣を身に付けるたい人
- 寄付をする意味が知りたい人
- 時間があって暇つぶししたい人
インドへの海外インターン
俺は数年前、インドへ1ヵ月ほど海外インターンに行く機会を得た。詳細は別の記事で書こう。
そのとき、俺は土日に観光するために首都ニューデリーに電車で向かった。
都市部までは電車で6時間程だった。寝台列車で一人一人のスペースはあるものの、日本では体験しないような経験。値段はクソ安い。
上の写真からもわかるように、そこそこ狭く、発車直前はほぼ満員だった。
そんな感じで電車に揺られて、都心に着き、観光後、帰りのチケットを取ろうとした。
しかし、チケットは郊外に向かう人で満席だった。
延泊するわけにもいかず、別に金に困ってる訳じゃないから、列車の中の最高級クラスの席を取って帰ることにした。
その席は外貨を持ってる人からするとコスパ的には特に高いとは思わない値段。6時間も乗ることを考えると値段は惜しまない。
こんな感じ。観光で来ている金持ちしか来ないから実質、貸し切り状態。見回りに来る車掌さんも神待遇だし、お菓子売ってる小僧はなんかチャイくれるし、完璧だった。
発車してまもなく、俺はデリーの街並みをガラス越しに見た。
その時、見た光景を今でも鮮明に覚えている。
- 線路沿いに並んだ壊れかけの家。決してラジオでなない。
- 小さな子供達が裸で線路に向かって、小便とかうんこをしている。
- おじさんは上裸で歯磨きしてる。
全部が丸見えでプライバシーもくそもない。このくそは前述したうんことかけているわけではない。
この景色が二分間ほどずっと続いた。
プロフィールにも書いているように、俺は海外への渡航経験は多く、このような光景も見慣れていないわけではない。
けど、その時だけは違った。
この時の俺は、電車の安い席が売り切れてて、仕方なく金にものを言わせて、最高級クラスの席を取り、Macを広げて、寝転びながらコードギアス見ていた。
一方で目の前には、窓一枚挟んで全く次元の違う世界が広がっている。
裸で小便してる奴の目の前で、俺は寝転びながら、コードギアス見ている。
アニメが好きな俺でもこの時は、流石に集中出来なくて、いろいろと考え始めた。
特に俺は金の使い方について考え直した。
お金の使い方について考え直す
帰国後、お金の使い方がヘタクソな俺はとりあえず、お金を寄付するということを始めた。
仕方は「コンビニのお釣りの小銭を全部募金する」
ということから始めた。しかし、この方法には問題があるこのことにすぐ気づいた。
詳細は、下のリンクの記事を読めばわかるが。
俺、普段マネークリップにするぐらい、キャッシュレス推奨派だ。つまり、小銭持つことない。だから自分が思っているほど全然寄付ができなかった。
そこで俺は他の方法を模索し、たまたま見つけたのが、
「Share the meal」という貧困や紛争などで困っている地域に1食60円から寄付できるアプリだ。
俺はこれを使って毎日寄付しまくった。
自分の中でなんか変わるかなぁと思い、バカみたいに寄付した。
俺だけ寄付するのもなんか知れてると思い、途中からTwitterに拡散しつつ、コメントを英語にすることで語学を鍛えつつ、合計で1万ぐらいぶち込んだ。
俺の中で生まれた心境の変化
ここまでお金をぶち込むと日頃のお金の最小単位が60円/食に代わった。
酒1本買うにしろ、
「あぁ、これ 1本我慢したら3食分か。はぁ、我慢するかぁ。」
この精神状態になると、重課金してるにも関わらず、日頃の無駄遣いが意外と減るということに俺は気づいた。
さらに、自己満足から来る自己肯定感の爆上げ。それに伴い、幸福度爆上げすること言うことがわかった。寄付をするというのは悪くねぇーんだなぁ。
寄付する人を馬鹿にする奴を俺は馬鹿にする
芸能人や著名人が寄付した際に、外野がとやかく言う場面が毎度となく繰り広げられる。
好感度アップとかは節税対策とかはあるんやろうけど、本質はそこじゃない。
正直、俺も寄付する以前まで、大金を寄付する人達を白い目で見てた節ある。
今となっては全くそんなこと思わなくなった。
彼らは本当にで善意で寄付してるということに俺は気づいた。人間的成長だ。ありがとうございます。
まとめ
お金を寄付するという行為は自分自身でやってみないとわからない様々な効用がある。
読者のみんなも一度行ってみては、いかがだろうか。
では、また。